横浜青葉区発 「提案型市民参加」のまちづくり
本フォーラムの前身「青葉まちづくり研究会」の活動
私たちの意見
かながわNPO大学春季講座速記録(参加型システム研究所刊)
青葉区の「住民参加の都市計画マスタープランづくり」 から抜粋
(於:(特非)参加型システム研究所 2001/05/)
前段 都市プランナー 野口和雄 さんの話
● 青葉区というまち
東急が田園都市構想の元に沿線開発を進めた中で、青葉区という新しい区があります。東急が一括代行する区画整理のやり方で開発した。田園都市線沿線はほとんど東急の所有地で、横浜市の所有地はほとんどない。日本でまれに見る民間主導で、人口20万人の比較的良好な住宅地として整備されて、住民は東京に勤め、価格も高く、それなりのレベルの方が住んでいるという特色があります。
平成4年くらいから横浜市が都市計画道路をここに作りたいと、略称「恩田元石川線」を作ろうとすると、「里山を守れ」とか「緑を守れ」という運動があって強行できなかった。そこで、突然「住民参加の道路づくり」と打ち上げて、道路を作るか作らないか、どういうルートで作るか、幅をどうするかに取り組んだ。青葉区ではこれを境にさかんにまちづくりをやるようになりました。
● きちんとした住民参加で
都市計画マスタープランを作るとき、コンサルタントの私は、「こういう経過できたんだから、きちんとした住民参加をやろう」と提案しました。従来は、「出席してください」「町のイイトコ、ワルイトコどこですか」「どういう町になってほしいですか」と議論しながら、もっぱら行政が作ってしまう。今回も、我々の頭の中でマスタープランはほとんど決まっていた。ここで住民参加をやっても、住民の不満がたまるだろう。一方、区民にはマスタープランを作りたい、まちづくりに主体的に参加したいという方が育ってきています。すでに東京、多摩では住民提案のマスタープランの取り組みがいくつかあって、専門家も協力して立派なマスタープランができている。僕はできる確信もあったんで、「行政提案でやっちゃおうじゃないか」と荒っぽい話を職員の方にしたら、「いいんじゃないの」という軽いノリで乗ったというところが発端。参加者もいっせいに広報を使って公募、蓋を開けたら70人くらいさまざまな方の応募がありました。全員に参加してもらって、マスタープランを直接、全部作ってもらおう、我々はもう一切介入しないと、全部お願
いしてしまった。 半年ぐらい毎週土日、区の会議室に集まってグループに分かれて議論を始めて、図面を作ったり、文書を書いて、夜はメールでやり合って、と作業がおっぱじまった。
● 都市計画の三重構造
1992年に都市計画法改正で都市計画マスタープランを市町村が作るという制度ができたが、市町村のマスタープランは都道府県のそれに則さなければならない。市町村には地方自治法で決まった総合計画が既にある。都道府県の「整備、開発、保全の都市マスタープランの方針」と市町村の総合計画は必ずしも一致していないのに、これを前提にマスタープランをつくろうという三重構造。こういう中で区のマスタープランを
どうつくるのかということです。
最終的に、青葉区のまちづくり指針として、区が作ったマスタープランと区民が作ったマスタープランが一
緒になったものになりました。横浜市の都市計画審議会にかけるときには、区民のマスタープランは参考資
料として入れていくというやり方をしたところで、なかなかおもしろい取り組みになったのではないかと思
います。一応、結実して収めることができたということですが、鈴木さんの10ヶ月の苦闘を話してもらい
ます。
鈴木さん
横浜市青葉区の鈴木です。
「住民参加」というのは非常にいい言葉です。住民が意見をいい、その意見をとりいれていくということで理念はよいのですが、行政側の取り入れ方と、参加する住民側の姿勢と、二つの問題があると思います。
私たちの取り組みの、苦闘の日々をこれからお話しさせていただきたいと思います。
私は、建築設計事務所を自営していますが、まちづくりの専門家ではありません。まちづくりの専門家は住民だと思いますが、どうしても専門家になりえないのは、自分たちの意見を行政にあげていくときに、その手法をしらないという欠点があるからだと思います。住民参加の機会に、一方的にこうやれ、ああやれと陳情しているのではないかと思うんです。
講座の「協働(パートナーシップ)によるまちづくり」というサブタイトルは、住民ができることと、行政ができることと、お互いに理解しあわなければできないのではないかと思います。
● とにかく65人で始まった
2000年4月、公募に対する応募が65人。それが何の選択もなく全員スタッフになりました。専門的知識のある人、ない人、お年寄り、若い人、世界を又にかけていた人・・・、その温度差はすごい。いきなり8つのテーマを与えられて、意見を聞こうと・・。その間、意思統一はありませんでした。県に「整開保」があって、市にマスタープランがあって、それ以外に横浜市の総合計画「ゆめはま2010」があって、それぞれがちょっとずつ違っている。
その中で考えていかなければいけない青葉区プランは、こういう存在などレクチャーは何もなくスタートしてしまった。何もわからない中で、とにかく意見を言いたい人、何か残したいと思う人と、ぐちゃぐちゃになったのです。
ところが面白いことに、私たち区民に対しての支援は大変していただいた。場所、資料、運営方針や私たちの提案全3回について、一切検閲がなかった。ただ、行政用語、法律用語についてのチェックは
あったが、それ以外はノーチェックでした。
全て自由の中で、住民合意をどう引き出すかまちづくり会議の代表を策定委員会へ代表として一名送り込もうと、65名の中からやってもよいというのが3人でました。私が阿弥陀くじで選ばれたが、どうなるかわからない。私は代表として、65人の意見をまとめなくてはならない。どうやってまとめたらよいか。「私に夢物語だけでない、話をできる武器をください。」といいました。みなさんの意見は、「区全部を牧場にして牛や馬を放し飼いにしよう」とかもありました。夢はあるけれど、実現できるか。自然環境保護、農業保全の意見も多かったのですが、地権者がいて市民がいて、それぞれの立場があることを全く考慮していない。緑地があるから市が買い取れといっても予算がある。高齢者福祉と子育ての問題とはバーター関係、予算の中でどうバランスをはかるかが大事なことです。
行政は、住民を参加させることで自分たちが責められないことを考えているのではないかという気もするんです。だから陳情をやっていても仕方ない、提案していかなければならない。そのために住民の中で合意していかなければならないと意識しておりました。
或いは住民に全てをゆだねられて、どういう意見を出すかの試みをさせられたと感じました。或いは住民が住民の中で合意ができるのか。というテストをうけているのかなと。住民同士の合意ができなければ行政とも合意できませんよね。65人が一人一票、同じ権利。なおかつ温度差が激しい。どういうシステムでやればよいのか。これが私たちの戦いだったのではないかと思います。
● 合意形成へ7ヶ月の苦闘
まず、コアスタッフ20人くらいを選択してそれを中心に運営する提案がありました。まちづくりをしてきた人、専門家、都市計画のコンサルタントとか、8つの班に分かれて代表8人、あと皆勤していた11人、合せて19人でワーキンググループをつくりました。7月29日に立ち上がり、10月2日には策定委員会に区民提案を出さないといけない
7月にはまとめるような状態ではありませんでした。馬車を走らせるとか、ドッグレース場をつくるとか、道路の変わりにエスカレーターをつくろうとか。へたをすると、住民参加は、住民の意見のガス抜きだとか、行政側のお墨付きというか、でも僕たちが失敗したらおしまいだと。2度とできないだろう。
この段階からふるい作業を行いました。ワーキングの19人に、一番得意なものを自己申告してもらいました。中には子育てのプロ、都市計画のコンサルタント、車関係の人とか、最初の会合から、各グループからでてきたものを一度フィルターにかけて、提案できるものにしました。
次に、6人のメンバーを勝手にセレクトしました。都市計画分野に造詣のありそうな方。コンサルタント、自然保護を長年やっている人、アセスメントをやっている人。ここまでは問題なくきました。この全員は私より年が若く、後で軋轢を生む原因になりました。年代差による考え方の違いや思惑の違いがあって
びっくりしたのです。みんなの意見をフィルターかけていきました。みんなが言っているのはソフトな話
題。例えば、老人のために住みやすいバリアフリーのまちづくり。これを行政が関われる形、条例をつくる
とか具体的に示せるようにフィルターがけをする。リサイクルの話題ではどうか。区には権限がない。横浜
市全体のリサイクルを考え地球の温暖化を防止しようというような、区の提案ではない。コンサートホール
がほしい。図書館がほしい、大騒ぎになりました。結局、6人が素案の作成をさせられるはめになってし
まった。斜めのものを四角くしようとしていたら、「だったらお前ら書け」と。作業班と名前がつけられま
した。
● 作業班でも闘い
しかし、ここでも意見統一できない。まず自然環境保護派と、東急グループの開発をしている人との戦い
が始まった。「田園都市ってなんだろう」という議論でした。この辺から、他人の意見を聞かないで一方的
にものを言う人、一応聞くだけ聞く人。自分の意見もいうが互いの協調点をさがそうという人と、大きく3
つの流れになった。 原案をつくるのに作業班内での闘いをやって、7月31日から10月まで毎週土日2時間ずつ。そのあと
パソコン通信。作業班で合意に達した素案をワーキングにかける。ここで合意に達しないと作業班に戻って
くる。これもメール。A420ページくらいの原稿が週3回くらい出される。この後、65人のスタッフ会
議にかけられる。そこで合意に達しなければ策定委員会に出せない。で、延々何度もつづきました。
10月7日から2月までの2回の提案で、6人の作業班が疲れてしまった。19人を説得して65人を説得す
る。そこで、19人の中から作業班の考え方に好意を抱いてくれる方、意見を聞いて自分も意見を言える人
を選んだ。それで25人の拡大作業班をつくりました。これで、65人の合意が採り易くなりました。メー
ルのやりとりにも疲れて、ホームページを作業班と拡大作業班用にたちあげました。パスワードを他の人に
は教えない会議室、秘密の部屋をつくって、ここから「森林墓苑構想」、自然保護と合せ、納骨堂を地下に
いれて木を植えようというアイデアもでてきた。情報機器の活用は、年令に関係なく一つのものごとを考え
ていけるメリットがあります。
● いかに有効に、一点突破の提案
やっと原案が出てきたとき、強引にメインテーマをつくった。だれが提案しても同じ結果になるものはや めよう。高齢者の問題をカットしました。20年後のまちを考えた時、高齢者ばかりが集まっているまちは おかしい。いろいろな世代がいなければ活力がない。そこで選んだメインテーマが子育て。ひとり立ちする 前の子どもを全て子どもとした。それは高齢者の問題にも通じる。バリアフリーというよりユニバーサル、 みなが使い易いことは、行政に提案できる。一点突破でいけるならそれでいいと65人が合意して提案し た。 提案は60代の方が発表しました。みなさんの合意を正確に伝えようと誠にうまい説明をしてくれたの で、策定委員会の方がびっくりするような反応をしてくれました。策定委員会は区内在住の学識経験者、各 職域団体の代表で構成されていますが、農業関係の方からは大変な批判がありました。住民は自然保護、農 業保護をいうが、農業関係者にとっては大変なことだと。これは最初にもらった宿題になりました。全員の ところにもどって、どうしようかというところから、様子が変わってきました。 区民が有効な提案をし始めたら、まちづくり会議の途中経過発表のたびに、青葉区のプランにとりいれられ ていく。「次世代への贈り物」と提案したら、行政版のまちづくり理念で、「次世代にひきつぐまち」に なってしまった。ちょっと待てよと。言えばなんでも取り入れられると。参加しているものの意識が変わっ てしまった。
● 住民参加をだめにしない
私たちは現在解散していますが、いくつかのグループができています。自然環境のグループではトラスト
をやっていこうと活動を始めた。ソフトな話題を法律的な話題にのせることで提案できると気づいた人たち
は、防災からまちづくりを考えようと。特に乳幼児や低学年の子育てを高齢者が支援していこうというグ
ループも芽が出始めています。 ここまで出来たのは、期間が短かったからと、「ここがだめなら、住民参加はだめじゃないか」というプ
レッシャーが大きかった。青葉区の住民は違うぞ、一方的に意見を言っていくのはだめ、パートナーシップ
は、行政ができること、住民ができることを考えながら協力しあわなければ。対等の立場、対等の土壌でや
ることでないかと。そうでなければ、住民参加は一方的に利用されて、本当に意見をいうチャンスがなく
なってしまうのではないかという気がしています。